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北海道 余市町 登地区で造られる、日本におけるピノ・ノワールの最高峰。
日本におけるピノ・ノワールの栽培は以前より盛んになってきましたが、繊細で栽培が難しい品種であるため、正直、ヨーロッパ、特にブルゴーニュのレベルに到達していないものが殆どです。
日本ワインは、一部のワインを除き薄っぺらいものが多いのですが、それを日本ワインの個性としてしまうのは、ある種の逃避でしょう。繊細さと薄っぺらさは全く別のものです。まずは香りを含む味わい、特に身体意識をワールドクラスまで引き上げることが大切で、そこから真のテロワールから生まれる個性を打ち出していけるのではないかと思っています。低いレベルで個性をうたっても、それは世界に通用する個性とは呼べないでしょう。この辺りの話は別の機会にまとめたいと思います。
そんな日本ワインの中で、少数ですがワールドクラスに迫ろうとしている造り手たちがいます。その中の1人が今回ご紹介させていただく「ドメーヌ・タカヒコ」であり、ドメーヌという言葉から受ける印象に相応しい造り手です。
さて、このドメーヌ・タカヒコのフラグシップワインである「ナナツモリ ピノ・ノワール」ですが、素晴らしいポテンシャルを秘めています。
有機栽培、野生酵母使用。亜硫酸不使用。
毎年楽しみに飲んでいます。今年は諸事情で早めに飲む機会を頂きましたが、もう少し寝かせてから飲みたかったです。
優しい赤系果実の香り、ミントなどのハーブ香、スミレやキノコのニュアンス。森の中にいるかのような心地良さを感じさせます。味わいはゆったりと静かに広がる果実味、繊細でシャープな酸とミネラル、余韻へと続く旨味が感じられます。
造り手が抱く
〝日本のワインであるなら、各四季における日本の神社仏閣の参道を歩いているような「春」「夏」「秋」「冬」を表現しているようなワインを醸したい。〟
という想いが伝わってくる味わいです。
特徴的な身体意識は、センター(細径軸)、頭部へ入ってくる清々しいクオリティ、中丹田、温球、太陽からのリバース、心田・心田流、ガイアのクオリティなど。
センターは、天性の清々しいクオリティを持つ細径軸がスーッと通っており、熟成とともに柔らかくしなやかになっていきます。この細径軸の高さ深さが、日本のピノ・ノワールの最高峰たる証でしょうか。日本の四季を味わうために必要な繊細さや気品を生み出しています。
頭部へは、秋の抜けるような空や夜空の星々からの清々しいクオリティが降り注いでいます。
中丹田はフワッとしたクオリティで、その上へ重なるように温かいクオリティを持つ温球が形成されています。その中丹田や温球には、暖かく優しい太陽からのエネルギーが降り注いでいます。とても心地が良いクオリティです。
心田・心田流は天性のクオリティを持ち、下方からくる清々しさを感じさせます。
身体の外側、両肩をかすめるような位置にガイアのクオリティもあり、生命感溢れる自然の中に自分が存在している、という安心感を与えてくれます。
身体意識から観ても、造り手の想いが隅々まで行き渡っているワインだと言えるでしょう。今後が楽しみなドメーヌですね。
一般的な味わいなどの詳細は、生産者WEBサイトより抜粋します。
《Domaine Takahiko(ドメーヌ タカヒコ)
北海道余市町登地区でワイン造りをすることを目的に始まった家族だけで経営する醸造所を持つ農園。この畑には、ビオで管理されたピノ・ノワール(約9000本)が植えられており、農場の敷地内では、納屋を改造した小さなワイン醸造所もあり、独自の考えをもってワインを醸造している。
ドメーヌ・タカヒコは、長野県の小布施ワイナリーの2男である曽我貴彦が2010年に設立。東京の大学で醸造学を学んだ後、大学で働きながら微生物研究者への道へ進むが、ワインの魅力が忘れられず、10年間、ココファームワイナリーの農場長として働く。その間、日本中、世界中のワイン産地を巡る。中でもジュラのオベルノワのワインに強く感銘を受け、そんなワインをイメージしたワイン造りをピノノワールで目指したく、余市町で4.6haの農地を購入し、ドメーヌを設立。現在は13系統のピノ・ノワールを栽培しており、全てビオロジック(有機栽培)にて栽培。野生酵母、完全全房発酵が特徴であるため、色調は淡いものの、余韻が長く旨味を伴う香味は多く人を魅了する。2015年ウィンテーシ゛より赤ワインにおいては亜硫酸を使用していない。農夫でなければ造れない、そんな自然なワイン造りと、様々な意味での続けられる農業とワイン造りを目指す。
Takahiko Soga(タカヒコ ソガ)が造るワインについて
濃くて余韻が長いワインの世界より、繊細(薄い)ながらも深く幅があり、余韻が長いワインの世界に魅力を感じております。まるで品質の高いお出汁の世界に似たものをワインに求めております。そのようなワインを日本で描くには、水捌けの良い火山性土壌と適度に雨が降る風土で育ったピノノワールであることが大切です。それも暖かいエリアでなく涼しい気候エリアで・・・。他の品種においても可能性があると思いますが、多くの品種を扱える器用な人間でないため、ピノ・ノワールのみに一生をかけ、理想の世界を探し求めていきたいのです。
現在、少量ですがご近所の農家からもブドウを購入しており、そのブドウから造られたワインのラベルには、ドメーヌ名が明記されず、私の名前「Takahiko Soga」が明記されております。
農場
ドーメーヌの農場は、余市町登地区にある標高60mの丘の上にあります。地質学的特徴は安山岩または火砕岩の母岩の上に風化した礫、砂、粘土(火山性)が混ざりあった水はけの良い場所です。
余市は、暖かい海水の影響を受けているため、一年を通じて北海道の中でも比較的温暖エリアに属し、降水量も少ない場所として、昔から果樹と漁業の町として栄えてきました。海が近いと塩害を心配なされる方もおりますが、岬や山に囲まれた特殊な地形を有しているためた、塩分を含んだ潮風が農場まで吹き込むことは、まずありません。また、生育期間中は内陸の羊蹄山麓から吹いてくる乾いた南西の風が主となるため、病害などが発生しにくい恵まれた気候条件でもあります。
一方、そんな土壌や気候の農場で、自然な農業とワイン造りを実践するため、ワインブドウは、全てビオロジック(有機栽培)で管理し、基本、ピノ・ノワールしか植えられておりません。ピノ・ノワールのみを栽培することは、様々な面で非常にリスクを伴うのですが、この地での可能性の高さと品質の方が勝ると私は考えております。
醸造
醸造はタンクに直接葡萄を入れ、酵母を添加することなく自然な発酵が起こるのを待ちます。瓶詰まで亜硫酸も使いません。言葉で言うのは簡単ですが、これが難しく恐ろしいことでもあります。ピジャージュは初期に足で軽く行いますが、その後発酵が激しくなるまで基本的に何も行いません。そっと、見守っているだけです。発酵が激しくなり始めた頃、ようやく数回、激しく足でピジャージュを始めます。キュベゾーンは40日間。発酵が終わったらプレスを行った後、重力でワインを樽へ移します。私の醸造の基本的な考えは、できるだけ何もしません。自然にまかせた発酵を行うだけです。教科書(マニュアル)で醸造するのでなく、感性で醸造を行う造り手です。
ワイン造りの思想
私の考えるワイン造りは、造る人の思想や哲学、その土地の風土や文化をワインの中に表現するものだと考えております。これを表現したくワインを醸しているのであって、経営者になりたくDomaine(ドメーヌ)を始めた訳ではありません。可能な限り粛々とワインを造る農民(ヴィニュロン)でいたいですし、自分の哲学を持つ職人でいたいのです。形やイメージばかりが先行する思想のないワイン造りをするようなことだけは、したくありません。今でも、どこまで小さな規模で、自分のワイン造りが行えるか模索しています。規模が大きくなればなるほど、思想が詰まったワインは造れなくなると思っているからです。
また、私の思い描くワインは、農民でなければ造れないものだと思っております。醸造家と言う言葉がありますが、ワインにはその言葉は必要ありません。ワインは畑で出来るものだからです。ワインとは何か?テロワールとは何か?見つからない答えを探し続けるヴィニョロンでいたいです。
自然について
ヴィニフェラ(ピノ・ノワールなどヨーロッパのブドウ)を自然へ戻す努力を試みますが、人間同様、すでに完全な自然へ帰れない植物です。むりやりジャングルに返すと、返すもの、返そうとするもの、周りにいるもの 皆 火傷をします。ワインを造るもの、飲むものが、自分にとっての自然のラインはどこにあるかを考え悩み始めた時、涙が出るような感激できるワインと出会える時が来ます。そして、ワインを飲みながら、そのワインに出会えた理由をゆっくり考えると「人間にとって本物の自然のライン」が、ぼやけた先に見つけることができる気がするのです。しかし、それを早く見ようと焦れば、必ず歪みが生まれてしまいます。ワインを用いて、急いだ地球環境改善を促すことは出来ないが、人間が本来持っている「自然を労わる優しい心」を少しでも呼び起こすことは十分に可能です。自分にとっての自然な栽培と醸造とは何かを理解できたヴィニュロンのワインには、そんな力があるような気がします。しかし、対照的に、造り手の影響により、人工的なマニュアル世界へも導く力がある飲みものでもあることも理解しなければなりません。私達、現代の人間は、皆、縦に掘った深い穴の中にいます。振り返って見上げてみても、見えている自然は光と丸い穴だけ。見えている自然は所詮、マトリックスの世界。人間が勝手に想像した自然の世界。進む手段は下に穴を掘るしかない。横に掘っても自然光を失い、早く何も見えない世界へ行くだけ。今の人間は無限につづく穴の先に何があるのかを知りたい欲望にかられているだけ。穴の先には欲と言う暗闇があるだけなのに。本物の自然を見つけるには、這い上がり穴の上に広がる世界を見なければなりません。でも、すでに僕達人間は這い上がる手段を知らない。私達が醸すワインは這い上がるためのツールではないが、穴の上の世界をいちじてきに覗かせてくれる、いくつかあるツールの1つである気がしてます。おそらく、どのような手段であれ、穴の上を少しでも覗けた人間は、もっとその先に広がる世界を見てみたいとの欲望に襲われます。その時、人間は穴掘りから解放されるのかもしれませんが、おそらく穴から這い上がることは出来ないと思います。こんなことを考えると、福岡正信さんの本を思い出します。私はワインを通じて、政治や環境に直接影響を与えようとか、全く考えていません。地域の中で少しづつ小さな花を咲かせ、それを周りに増やし、そして続けさせて行くことが大切な役割だと思っております。私には能力がないので、今はそれに集中するだけ。100年後の人達がワインを通じて穴の上を覗くためのツールを、少しでも沢山残しておくことが、今の私の仕事なのです。
Domaine Takahiko(ドメーヌタカヒコ)とは
本来、農場名には「Vinyard」や「農園」と言ったわかりやすい言葉を用いるべきだと思いますし、日本人であるのになぜ農場名に日本の言葉を使用しないのか?と今でも自問自答を繰り返しています。
しかし、私は「Domaine」と言うフランスの伝統の中で作られた言葉の重さで、自分を縛りたいと思っております。この言葉に隠された本当の意味の重さを背負わないと本物のワインを造る農夫になれない気がするのです。
また、私の名前であるTakahikoを使用することにおいても、私の造るワインは会社が作るものではありません。自然を少しでも理解しようとする人間が造るものです。造る人の考えで、テロワールの意味や、ワインの味や香りまでが変わります。ワインと言うものは、自然と自分を表した作品であると思うのです。素晴らしいワインは自我の塊です。ですから私は、畑名に自分の名前をつけております。
理想のワインとは
私にとっての理想の日本で醸すワインは、味、香りにおいて日本の風土に馴染み、日本の食の美しさを表現できるワインであること。世界の人々に溶け込むグローバルワインでなく、グローバルとはかけ離れた私たち農民の生活の中にも溶け込み、涙を流せるような感激を味わえるワイン。ミネラルより旨味を重視し、果実味より森のような繊細で複雑な香りを重んじるワイン。瓶熟においては、美しく日本の森や里山の四季を表現できるワイン。20年以上寝かせて、熟成の過程で四季を表現できるワインも素晴らしいと思うが、個人的には年月が長ければよいとは感じていない。やはり30年必要とされるワインにおける春や夏の風景は、重すぎて日本の食材や食文化に馴染みにくいと感じる。一方で力のないワインは、春と冬は表現できても、夏と秋を表現できないことが多い。ます。大切なことは、夏と秋の風景をいかにワインで表現できたが非常に大切なことであり、その四季を10年で表現できるのであれば、素晴らしいことであり、すごいことである。いくら長く熟成できても、美しい紅葉の秋を表現できなく、深い秋になってしまうワインではダメなのです。日本のワインであるなら、各四季における日本の神社仏閣の参道を歩いているような「春」「夏」「秋」「冬」を表現しているようなワインを醸したい。特に私は紅葉が綺麗でブドウも実り、花が咲いて、キノコも穫れる秋の始まりが好きであり、それを美しく表現できるワインを醸したい。
農業について
私の農業の思想は、継続可能であることです。私だけが行える栽培法ではだめなのです。私の周りで広がり継続していく農業でなければならないのです。化学農薬に偏った農法は、おそらく続かないでしょう。一方で、周辺の農家が真似できない農法も続かないと感じております。また、農薬漬けのブドウを醸し、テロワールなどと言って良いのでしょうか?自然を敬い栽培が続けられてこそ、テロワールが反映されるものだと私は考えております。しかし、農業と言うものは必ず人間が手を加えるものです。けして自然ではありません。人間が手を加えれば、必ず自然は変わってしまいます。それをしっかり理解していなければなりません。自然とどのように接し、どう向き合い、そして、どこまで手を出すべきか?その答えは今でも見つかっておりませんが、自然を敬い感謝する気持ちは、絶対に忘れるべきでないと思います。。
ワインについて
醸造の考えの基本は昔しに戻ることです。現在の最新の乾燥酵母、最新の除梗破砕機、最新のステンレスタンク、最新のろ過装置、最新の清澄剤などが、職人としての「感性」を奪い、ワインから哲学やテロワールを奪ったと私は考えております。熟した葡萄が収穫されれば、ワイン造りにおいて小手先は必要ないのです。ワインは畑で造られるものであり、工場で造られるものではありません。マニュアルで造るものではないのです。
私のワイン造りは、そのまま除梗を行わず、全房で仕込みを行います。ポンプなどを出来る限り使わず、バケツや重力でワインを移動させます。今は亜硫酸は赤ワインには基本使いません。樽においては、平均15年使用の樽を使用しております。
はじめに
ワインは自我の塊だと私は思っております。ワインの味や香りはテロワールにも大きく影響されますが、それよりもまして「人」によって大きく影響されます。なぜらな「自然と人」との関係に対する栽培・醸造家の哲学がワインの味に大きく影響するからです。
ナナ・ツ・モリとは
この畑はかつて、7種類の果樹が育つ果樹の森でした。
その畑の歴史を後世に伝えるために、ナナ・ツ・モリ(七ツ森)と言う名前が付けられたました。
現在、ナナツモリの畑はドメーヌタカヒコが所有しており、ピノ ノワールだけが栽培されております。この畑の全てはビオ(有機栽培)で管理されており、ラベルにはドメーヌタカヒコと明記されております。
ヨイチノボリとは
北海道余市町登地区で栽培された葡萄のみを使用し、醸造されたワインです。
ドメーヌものでなく、私が尊敬するヴィニョロンより購入した葡萄を用いて、私が醸造したワインです。
。
これらワインのラベルには、「Domaine Takahiko Soga」と明記されておりません。
「Takahiko Soga」とだけ記載されています。
シンボルマークについて
マークとなっている家紋は、「5・3の桐」を 「5・3の葡萄(ピノノワールの葉)」に私がアレンジしたものです。
ナナツモリ ピノ・ノワール 2017/Nana-Thu-Mori Pinot Noir 2017
ドメーヌタカヒコが所有する4.5haの畑「ナナツモリ」。ビオによりピノ・ノワールのみが栽培されている。気候変動の影響により2017年は道内各地において様々な天災が農作物に悪い影響を与えたが、余市エリアにおいては、例年並みの安定した気候で推移したため、高品質なブドウの収穫と理想的な収穫量が得られた良い年であった。欲を言えば9月の日照がもう少し欲しかったが、病果も殆どなく、これまでよりも味の密度が濃く、強い果実味を持ったブドウの収穫ができた。ワインにおいても、ナナツモリの課題であった果実味と口中における香味の密度において、理想に少し近づけた手応えを感じる。梗由来のスパイシー香に対するイメージは、やや弱めに抑え、これまで以上に果実味と旨味を複雑に表現できた。キュベゾンは2016年同様に40日以上まで伸ばし、95%全房による発酵。5%除梗ロットが含まれる。発酵に関与する野生の微生物が心地よく発酵できる環境を整えるため亜硫酸は使用していない。熟成には古樽を用いるが新樽も5%だけ使用。瓶詰時においても亜硫酸無添加。香りは森の中の心地よい香りをイメージし、ビーツ、シナモン、ストロベリー、ミント、マツタケ、シメジ、チェリー、黒スグリ、スミレ、クローブなどの香りが広がる。亜硫酸無添加のため開き始めているが、酸やタンニンは固く、粗々しい。是非、抜栓は2019年の12月まで待って頂きたい。抜栓の理想は4年以上熟成させてから。
セパージュ :ピノ・ノワール100%
12ケ月 樽熟成(95%古樽、5%新樽)
発酵:全房(5%徐梗あり)・野生酵母(自然発酵)
亜硫酸:なし(1,000本だけありロット)
瓶詰本数 10,000本》
※《》内は生産者WEBサイトより
http://www.takahiko.co.jp/menu.html
http://www.takahiko.co.jp/index.html
生産者の情報
http://www.takahiko.co.jp/index.html
名称 | ドメーヌ・タカヒコ ナナツモリ ピノ・ノワール |
英字表記 | Domaine Takahiko Nana-Thu-Mori Pinot Noir |
生産者 | ドメーヌ・タカヒコ |
国・産地 | 日本・北海道・余市町 |
セパージュ【葡萄の品種】 | ピノ・ノワール100% |
ビンテージ【葡萄の収穫年】 | 2017 |
タイプ【泡/白/ロゼ/赤など】 | 赤 |
STポイント※1 | 85 |
クラス※2 | ハイクラス |
抜栓 | 2019/08 |